華やかな佇まいが遺る、大正期の近代邸館

和光荘について

[建 築 名]和光荘(旧野口 喜一郎 邸)

[竣 工 年]1922(大正11)年

[構      造]木造4階建、一部鉄筋コンクリート造

[延べ面積]約480坪

[施 工 者]野口 喜一郎

[設 計 者]佐立 忠雄・野口 喜一郎

小樽が好景気に沸いていた1922(大正11)年、北の誉酒造の2代目・野口喜一郎 の私邸として建てられました。喜一郎は旧日本郵船小樽支店を設計した佐立七次郎の息子、佐立忠雄の助言をもとに自ら設計し、当時、個人住宅に倶楽部の機能も兼ね備えた珍しい取り合わせでした。豪華な応接室や広い食堂を備え、幾何学的な装飾が特徴のアール・デコ調が随所に施され、仏間や和室には地元加賀藩の色である紅殻色が取り入れられています。また、和洋折衷の意匠には野口家の故郷である金沢の職人や京都から宮大工を呼び寄せて7年の歳月を費やしたとされました。1950年以降は約20年間にわたり宿泊施設としても使われ、1954(昭和29)年には昭和天皇・皇后両陛下、1958(昭和33)年には今上天皇(皇太子当時)が来樽時に宿泊所としても使用されました。

大正期から現存する数少ない邸宅のひとつとして、時が過ぎても北の誉創業家の華やかな佇まいの姿が遺る小樽市の歴史的建造物をご覧いただけます。

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北の誉 二代目  野口 喜一郎(1887-1972)

北の誉酒造の創始者、野口吉次郎(のぐちきちじろう)の次男として1887(明治20)年、小樽市に生まれる。小樽中学校卒業後に志願兵となり将校コースを選ぶ。軍隊で管理力、合理力、組織法を学ぶ。21歳で父の後継者となり、ホテル、商社をはじめ、事業規模を拡大し北海道の近代経営化の基盤をつくった。人を大切にした経営方針は父親ゆずりの信心によるところが大きく、公共事業にも援助を惜しまなかった。

その功績が認めら、紺綬褒章を受章。